歌声の陽だまり

合唱団の歴史


昭和56年

  7月 国久(現高槻コンサート協会会長)と後山の会談により新合唱団設立の構想固まる

  9月 有志3名で合唱団(名前はまだない)としての活動開始(合唱団結成)

 10月 数名の団員が入団するも、週一度の定期練習に参加するのは2-3人

昭和57年

  1月 呼びかけに応えて4-5人の団員(大学生中心)が熱心に活動を始める

  5月 「蔵王」、「レクイエム」(モーツァルト)などの練習を開始(練習日:月曜日)

  8月 合唱団名を「高槻混声合唱団エスポアール」に決める

     高槻市合唱連盟に加盟(設立者:後山、団長:宮宗)

  9月 数名の高校生等の入団により団員数は15名となる

     * 実際のところ、なぜ大学生や高校生がエスポアールで歌を歌いたいと感じたのか

       いまだに不明。結成1年で団員がなぜ15名にも増えたのかも不明。練習場所に

       いくと、なぜか新しいメンバーがそこにいるという感じであった(現団長回顧)

 11月 翌年の高槻市合唱祭に出演することを決定

昭和58年

  1月 合唱際での演奏曲を「蔵王」に決定し、練習を開始

  3月 団員数20名となる

  4月 設立者(後山)が転居し、一時休団。高校生だった団員の何名かが音楽大学進学

     高槻市合唱祭で初舞台、初演奏(設立者当日かけつける)

  7月 単独でコンサートを開催する準備が始まる

昭和59年

  1月 団員数25名となる

  4月 第一回定期演奏会を開催。この後第五回まで定期演奏会が開かれる

昭和61年

  4月 設立者合唱団に復帰

     これより昭和63年までは合唱団活動は隆盛期を迎える

     演奏会の前には定期的に合宿

平成元年

  4月 正指揮者田邊(大阪医大生)が国家試験に向けての勉強のため休団

  8月 設立者が米国に留学とともに実質的な活動の休止状態となる

平成2年

  9月 設立者が米国留学から帰国するも、結成当初の高校生、大学生がそれぞれ

     の道を歩み始め、練習への参加が不可能となり、新たなメンバーとの入れ替え

     が進まず、活動の休止を決定

平成8年

 11月 アンサンブル・ネオナートからの共演の申し出を受け、合唱団有志が再集合し、

     「ネオナート&エスポアール」という1日限りの新たな合唱団として高槻市秋の音楽祭に

     出演す (Sop 1, Alt 2, Ten 2)

平成9年

  1月 昔のメンバーが集まり、ステージに立ったことが呼び水となり、春の合唱祭に出演しよう

     という気運が高まり、練習開始とともに団員募集開始

     7年ぶりに合唱団としての活動再会(練習日:金曜日か土曜日)

  4月 Sop2, Alt2, Ten2, Bass1で高槻市合唱祭に約10年ぶりに出演

     その後連続出演中

平成11年

  8月 六地蔵病院ミュージックフロアに初出演し、以後毎年の出演が継続中

平成14年

  8月 結成20周年記念リサイタル

     団員数はほぼ10名で入団、退団(転居による)が時折あるが、団員数ほぼ固定

平成19年

  4月 結成25周年のため、高槻市合唱祭でミニコンサート

平成20年ー21年

     アルト1名休団、テナー1名退団   アルト2名入団

平成21年

  4月 高槻市合唱祭にて山田幾久子嬢をソリストとして招き、ロイド・ウェバー「Pie Jesu」、

     ドボルザーク「Requiem」を演奏

  9月 テナー1名休団

平成22年

  2月 ソプラノ1名入団 

  4月 テナー不在で合唱祭出演

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合唱団紹介
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